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七夕の由来は織姫・彦星の七夕伝説?なぜ「たなばた」って言うの?
こんにちは。カラクリジャパンライターの梅グミです。
7月7日は七夕。
子どもの頃、短冊に願い事を書いたり、笹の葉に飾り付けをしたりした経験、誰もが一度はあるのではないでしょうか?
そんな人でも、なぜ七夕の行事をするのか?織姫と彦星の話はなんとなく知っていても、本当の由来は聞いたことがないと思います。
子どもに「どうして七夕をするの?」と聞かれると、答えられないのは私だけでしょうか?
今回は、七夕の由来について、調べてみました。
七夕の由来は?もともと七夕にはどんな意味があったの?
七夕の由来にはたくさんの説があります。
そのなかで、最も支持されているのが「3つの起源が重なって、日本に七夕の風習が根付いた」とする説です。
3つの起源とはなんでしょうか?
七夕の由来には3つの起源があると言われてるって知ってた?
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古来、日本は優れた文化や技術を中国から輸入していました。
七夕の由来も中国が関係しています。
七夕発祥の地・中国では、これから詳しく見ていく起源のうち、2つが融合し、7月7日夜に手芸の上達を祈る宮中行事が行われていました。
日本では奈良時代にこの宮中行事が伝わり、日本由来の行事や歴史と融合し、発展していくなかで、現在の七夕の風習となりました。
1.織女と牽牛の話が元になっている「織姫・彦星」伝説
天の川の西に住む機を織るのが得意な織女と、東に住む牛飼いの牽牛という、中国に伝わる夫婦の話です。
子どもにもわかりやすい内容のお話なので、織姫と彦星の物語は、七夕伝説として最もよく知られています。
知らない方のために、簡単に内容をお話すると…
まじめで働き者だった織姫(織女)と彦星(牽牛)は結婚し、生活をともにするようになると、遊んでばかりいるなまけ者になってしまいました。
それが天帝の怒りに触れ、2人は天の川をはさんで東西に引き離されてしまいます。
2人は悲しみのあまり、働けなくなってしまったため、天帝は1年に一度だけ、7月7日に会うことを許しました。
2.奈良時代に中国から伝わった7日7日の風習「乞巧奠(きこうでん)」
織女と牽牛の伝説とともに日本に伝わってきた中国の宮中行事です。
機織りが得意な織女にあやかり、機織りや裁縫といった手芸の上達を願い、7月7日の夜、針と糸を祭壇に供えるものでした。
時の流れとともに、手芸のほか、書道や芸事の上達も祈願されるようになりました。
3.7月7日夜に神をお迎えして行う日本の神事「棚機(たなばた)」
七夕は桃の節句や端午の節句と同じ「五節句」のひとつなんです。
もともとは「七夕(しちせき)の節句」と呼ばれ、神様に季節の食物を供え、節日を祝う神事が行われていました。
七夕を「タナバタ」と呼ぶようになったのは、別の日本の神事「棚機(たなばた)」と融合したことに由来すると言われています。
古くは、神様に捧げる特別な織物をこしらえる女性を棚機津女(たなばたつめ)と呼んでいました。
棚(たな)は織物をする神聖な場所を、機(はた)は布を織る道具を意味しています。
棚機津女が織った布を神様に捧げ、作物の豊作を祈る神事が「棚機」でした。
織女も棚機津女も、織物をこしらえる人だったため、この3つが融合して、現在の七夕になったんですね。
七夕は織姫・彦星伝説だけではない。由来を知ると伝統文化が見えてくる
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七夕と言えば、織姫と彦星の伝説が真っ先に浮かんでいた人も多いのではないでしょうか?
七夕の由来を調べてみると、中国と日本の文化の結びつきが見えてきます。
日本の伝統行事として定着している七夕も、行事のやり方など、時代を経て、変わってきている部分があります。
それでも、織姫と彦星の物語のように、変わらずに語り継がれている部分もあるのは、興味深いですね。
毎日何気なくしていること、使っているものも、変わらずに続く伝統のストーリーがかくれているかもしれません。
カラクリジャパンは、これからも、知られていない日本の伝統文化と技術にスポットを当て、発信を続けていきます!